横浜七福神とは
昭和40(1965)年、港北区内の七つの寺などが集まり、七福神が誕生しました。
当初は「横浜 港北七福神」と呼ばれていました。その後、横浜市内で戦後最初に創られた七福神であったことから、昭和52(1977)年に改称し「横浜七福神」を名乗りました。
毎年、元旦から松の内の間、一般公開されます。
七福神
「弁財天」「恵比寿」「寿老人」「毘沙門天」「福禄寿」「布袋」「大黒天」の七柱の福徳の神です。
大黒天
現代日本の大黒天は、食べ物と財福の神です。豊臣秀吉が三面大黒天を祀っていたため、その立身出世にあやかろうと江戸時代に日本中に流行しました。
大黒天は、時代と場所により、様々な姿と役割をもたらされていたようで、諸説あります。
① インド・チベットにて
ヒンドゥー教のシヴァ神(創造と破壊の神)に関係しているのは間違いありません。
シヴァ神を仏教に取り入れる際、サンスクリット語でマハーカーラと呼ばれる存在が生み出されます。これはヒンドゥー教徒が仏教徒になる際、ヒンドゥー教で今まで信仰していたシヴァ神という存在の代わりを、仏教にも必要とした為です。
マハーカ―ラはシヴァ神の姿を模倣し、75種の姿(一面二臂・三面六臂など)が描かれます。この時には青黒い姿が描かれることが多く、マハー(「偉大」)カーラ(「黒」「時」)は「創造と破壊の神」だけでなく「財福の神」「軍神」の役割を受け継ぐこととなります。
② 中国にて
中国に入る頃と、マハー(偉大)カ―ラ(時、黒)は、大黒・大黒天という名称となります。そして、「創造と破壊の神」「財福の神」「軍神」の3つの性格の中でも特に「財福伸」としての側面が強調されて祀られるようになります。
③ 日本にて
日本に入る際、中国からの性格もそのまま伝わりますが、日本独自の大黒天信仰が始まるようになります。それが大国主命との習合信仰です。
「だいこく」という音が「大黒」「大国」と通じる為、両者が一体視されるようになります。現在、私達がイメージする大黒様、ふくよかな体つきで微笑み、黒頭巾をかぶって、右手に打ち出の小槌を持ち、右肩に大きい袋を背負って、米俵の上に乗っている姿は江戸時代以降のものです。
真言は「オンマカ キャラヤ ソワカ」です。
正覚院では、境内の欅から削り出した二尺ほどの大黒天像をお祀りし、正月の一週間、本堂内にて御開帳しております。その大黒天の体内には、暁堂元龍禅師が秘蔵奉祀していた小さな大黒天像がお納めされていると伝承が残されております。
交通アクセス
TEL:045-421-8516
〒222-0032
神奈川県横浜市港北区大豆戸町1160
□ 正覚院への行き方
●「新横浜駅」の地上から
「東海道新幹線新横浜駅北口」「JR横浜線新横浜駅東口」など
キュービックプラザ地上一階ぐるめストリートを目指し、「迴転寿司まぐろ問屋」と「ドラッグストア Fit Care Express」の間にある自動ドアを出て目前の十字路を左に曲がる。
「篠原郵便局」を左手に通り過ぎて4分ほど歩くと、右手に正覚院の門柱が見える。
●「新横浜駅」の地下から
「市営地下鉄ブルーライン新横浜駅」「東急新横浜線新横浜駅」「相鉄新横浜線新横浜駅」
など
2番出口を出て目前の十字路を左に曲がる。「篠原郵便局」を左手に通り過ぎて4分ほど歩くと、右手に正覚院の門柱が見える。
※ 駅を出て左折後、一方通行の車道に逆らって平地を歩いていきます。坂道ではありません。